森林組合について語る③

週末は、寒波により各地で積雪となり、

付知も、本格的に積雪したのは久しぶりだ。

 

積雪の次の日には、必ず行う事がある。

 

森林キャンプ場にある、吊り橋の雪下ろしだ。

積雪当初よりも、少し溶けはじめた時が重量が増す。

吊り橋が悲鳴を上げる前に、定期的に見回ることが大事となる。

 

 

 

 

三つ目  森林・自然を生かした事業について。

 

 

 

昭和30年代 経済成長の始まりとともに、観光事業が始まり、

付知町では、清流付知川ヒノキ美林を目玉とし、

 

昭和36年に「宮島キャンプ場」を開設。

それに伴い、付知峡へ定期バスが運行され、

昭和38年には、裏木曽県立自然公園の指定を受け、 『付知峡』 の宣伝を開始した。

 

観光ホテル・本谷園・不動公園などの整備が進み、民宿・お土産店も増え、

アクセス道路の整備も進められた。

 

 

当森林組合としても、

付知峡にもっと多くの方に足を運んでいただき、緑に囲まれ、清流付知川で遊び、自然に触れながら、

休日を堪能できる環境を作り、 『森林・自然の大切さを伝える』 のを目的に、

キャンプ場業務に着手した。

 

当時の森林組合には、付知峡活性化に熱心な役員がおり、

近隣住民との話し合い、キャンプ場施設整備地の誘致等、後の管理人として多大なご尽力をいただいた。

県内外のキャンプ場施設を数多く視察し、試行錯誤を行いながら、

 

昭和52年には森林組合として、第1号となる、

『森林キャンプ場』 の営業を開始した。

 

                                「営業開始当時の管理棟」

 

 

バンガロー 35棟、炊事施設2棟、トイレ2棟という設備内容だった。

 

 

また、 キャンプ場への進入路も1つ (現在の東入口) しかなく、

バンガローまで車で行くことが出来なかったため、お客様の荷物はコンテナに乗せて、

 

現在の露天風呂付近から対岸の広場に向けて、付知川上空を行き来していた。

(当時の基礎の一部が広場に残っている。興味のある方は探して欲しい)

 

もちろん上空を飛ぶのは荷物だけ!お客様は吊り橋を渡りバンガローへ!

 

 

初年度で、6千人もの方にご利用いただいた。

 

 

 

昭和61年から数年にかけて、   第1次森林キャンプ場改革計画 (勝手にそう呼んでいる) を始める。

 

ここでの改革点は

昭和61年     ・バンガローまで車で乗り入れが出来るように、進入路を開設。(現在の西入口)

昭和62年     ・アメニティキャビン1 (20人用) を建設。

昭和63年     ・吊り橋の架け替えを行う。

 

    

平成5年から数年にかけて、    第2次森林キャンプ場改革計画を開始。

耐用年数が経過している事もあるが、お客様により快適に利用いただくため、改革に乗り出した。 

 

ここでの改革点は 

平成5年の秋   ・営業当初から愛用してきた、全バンガローの取り壊しが決定。  

            ・車やお客様が通行しやすいように場内整備

 

平成6年6月   ・バンガローを新たに5棟建設。 (現在のAタイプ 白い壁)

平成7年6月   ・バンガローを新たに8棟建設。 (現在のAタイプ)

            ・テニスコートを建設。

 

平成8年3月   ・アメニティキャビン2 (30名用) を建設。

 

同年     ある事件が起きる! (記憶に残っているい方もいるのでは?)

 

キャンプ場としては何も問題はなかったが、自主的に営業を1年取り止め、

第3次森林キャンプ場改革計画を行う事に。

 

 

ここでの改革点は

・キャンプ場で使用している全ての水道関係を、井戸水から簡易水道(町役場が管理している水道)に変更。

・露天風呂の建設。

 

それ以降も、進入路の拡張・バンガロー等の修繕・建て替えを行い、

現在では、リピーターも増え、年間1万2千人もの方にご利用いただけるキャンプ場となった。

 

 

 

森林キャンプ場の営業を始めて、しばらく経過したある日、

お客様より 「テントで一度宿泊してみたいが、近隣に施設はないか?」 とご質問をいただいた。

 

確かに、近隣のキャンプ場はバンガロー施設のみで、テントで宿泊できる所は少なかった。

 

早速、森林組合の役員会にて協議を行い、

 

昭和61年7月  森林キャンプ場に引き続いて、第2号となる、

『塔の岩オートキャンプ場』 の営業を開始した。

 

当時は常設テントが基本となり、

テント25張り、簡易トイレ1棟、管理棟1棟という施設内容だった。

 

写真は開設当初のもので、まだ遊具やSサイト付近は存在しない。

 

 

昭和から平成に変わり、アウトドアーの人気が徐々に高くなり、

ご利用いただけるお客様も年々増えていった。

 

また、キャンプ用品の普及が進み、テントを持参する方が増えてきたため、常設テントは影は薄くなってきた。

 

常設テントとは、読んで字のごとく、常時設営されたままのテントであるため、

私も宿泊した事があるが、まず始めに行ったのがテント内掃除・・・

色々な虫などが進入しており、今思うと清潔感はなかったかもしれない。

 

 

オートキャンプに対するニーズの変化合わせ、

テントを持参した方にも快適にご利用いただくために、区画分けを行う事にした。 

隣同士の距離感を保ちつつ、自分が利用できる空間を示すためだ。

 

当時では珍しい、1サイト10m×10mという大きな区画分けを試み、

区画分けには、もともと近くにあったを活用し、景観を損なわないような配慮をした。

 

 

平成3年  利用者の増加に備え炊事場・トイレ等の施設を建設し、宿泊スペースの拡張も行った。

 

写真は、現在のレギュラーサイトにあたる。

 

こちらの写真は、宿泊スペースの拡張を行った風景となり、現在のファミリーサイトにあたる。

 

宿泊スペースを拡張した時に、もともと生育していた松の木を残しつつ、

新緑・紅葉時期に楽しんでいただけるように、ケヤキ等の広葉樹も植栽を行った。

 

植栽当時は、このような感じだったのが、  

 

今では、こんなに大きく成長し、

夏場の強い日差しを和らげ、お客様に快適な木陰を提供できるようになった。  

 

キャンプ場の規模としては、レギュラーサイト100区画  ファミリーサイト53区画となり、

一度に700人程のお客様をお迎え出来るようになった。

 

それ以降も、トイレ・シャワー室・炊事場・電源等の設備を整え、

アウトドアーブームのピーク時 (平成7・8年頃) では、

年間2万7千人もの方にご利用いただけるキャンプ場なった。

 

ブームは去ったとはいえ、

「テントが好き」 と言われる方も多く、現在でも年間1万人もの方にご愛顧いただいている。

 

 

 

続いて、第3号となるキャンプ場が、 『Be-Green日和立』 だ。

 

ただ、このキャンプ場の誕生は、上記で述べたものとは少し異なるものとなる。

 

平成3年  当時の付知町 (現中津川市) が、不動公園より奥に位置する、

国が管理している国有林地内に貸別荘タイプのキャンプ場を建設する事が伝えられる。

 

建設には、 「林業構造改善事業」 という国庫補助と、付知町単独費用が充てられ、

 

 

平成4年10月  ログハウス4棟、野外卓4基、東屋1棟の建設工事が開始された。  

 

平成5年5月  森林組合の業績と、キャンプ場運営能力が認められ、

付知町と 『施設管理委託契約』 を締結する事となった。

 

この時の、管理委託契約の内容は斬新なもので、

 

管理委託とする場合、年間売り上げの何%を収める形が多いはず。

今回の場合、年間の借地料を支払う以外、全て森林組合に一任でという内容だった。

 

宣伝方法、利用規則、利用料金、施設の維持管理に至るまで。

 

言い方を変えれば、

『利益が出れば森林組合の収入になるが、赤字になった場合は責任は負わない。

また、施設の維持管理にかかる費用も一切負担しない。』 

というものだ。

 

リスクは大きいが、遣り甲斐はある!!

コンテナハウスを1棟購入し、臨時管理棟として準備を進め、

 

 

平成5年8月  Be-Green日和立として営業を開始した。

 

 

同年秋には、付知町が国庫補助金を活用して、新たにログハウスを4棟建設。  

 

森林組合としても、お客様に快適に利用いただくために、進入路の舗装、日避け用の屋根を検討したり、

平成7年には、管理棟の建設を行った。  

 

平成8年10月  付知町が国庫補助金を活用し、団体用の建物を2棟建設。

付知町のログハウス建設計画は最終となる。

 

キャンプ場の規模として、家族用8棟、団体用2棟となり、

 

これ以降も、森林組合として水道・排水施設等の整備を行い、

現在では、年間3千人もの方にご利用いただいており、

 

建物内には、バス・トイレ・キッチン・食器類・調理器具類・寝具の備え付けがある事から

人気の高いキャンプ場となった。

 

 

 

続いて、第4号となる 『本谷オートキャンプ場』 だ。

 

こちらのキャンプ場は、名古屋の旅行会社アトラストラベルが経営していた、バンガローの施設だ。

 

旅行会社アトラストラベルは、付知峡が観光事業に着手し始めた頃から、観光ホテルの営業を行い、

合わせて本谷キャンプ場も運営を行っていた。

 

時代の流れだろうが、会社の事業規模見直し等により、

観光ホテル事業に続き、キャンプ場事業からも撤退が決まり、

森林組合にキャンプ場施設を購入いただけないかと打診があった。 平成9年のことだ。

 

アトラストラベルとは、森林キャンプ場の営業を始めた頃からの付き合いとなり、

今では、学校関係における野外学習を、森林キャンプ場に斡旋いただいている。

 

 

森林組合の役員会にて協議を行い、購入する事とした!

 

既存バンガローについては、建物自体古いため全て取り壊しが決定。

管理棟、倉庫、トイレ、炊事場はそのまま使用し、

 

オートキャンプ場として営業を始めるため、準備に取り掛かった。

 

 

まずは、バンガローの取り壊しと合わせて、

うっそうとし真っ暗だった場内の松の木等を、良い物だけを残し伐採する事に。

 

続いて、場内に砂を運び入れテント区画を整備。

シャワー室、電気設備、給水設備等を充実させ、

 

平成11年5月  本谷オートキャンプ場として営業を開始した。

 

テントサイト 『47区画』 の設備内容だった。

 

営業を開始して6年が経過した頃、利用者数が伸び悩んだ。

テント区画数が少ないため、塔の岩オートキャンプ場のようには行かないのと、

キャンパー志向が変化しているのか、週刊予報の精度が上がったのか定かではないが、

天候に左右されやすく、週末はと予報されるとキャンセルが相次ぐようになった。

 

その点、森林キャンプ場等の建物施設は天候の影響が少ない

 

森林組合の役員会では、キャンプ場の年間実績を報告する機会がある。

 

当然、本谷オートキャンプ場に対する方針が話し合われた。

 

平日の利用をもっと増やす方法を検討しては。

バンガローを建設しては。

設備投資を行うための費用対効果について ・ ・ ・ など。

 

色々意見が上がったが、バンガローを建設する事に決定し、

 

 

平成18年4月   Aタイプバンガローを10棟建設。

 

続いて、

平成19年3月   Bタイプバンガローを10棟建設。

 

このバンガローは、岐阜県からの補助金を活用して建設しており、

『岐阜県産の木材を使用する事』 (証明書が発行される木材)が条件ではあったが、

お客様に喜んでいただける良いバンガローが完成した。

 

キャンプ場の規模として、Aタイプバンガロー10棟 Bタイプバンガロー10棟 テントサイト10区画となり、

 

それ以降も、バーベキュー施設を整備を行い、

現在では、年間3千人もの方にご利用いただけるキャンプ場となった。

 

4つのキャンプ場とも、規模拡大を図りながら進化を遂げてきた。

 

森林組合の業務として、

一番大事なのは、森林整備を進める事。

その取り組みについては、今も昔も変わらない!!

 

だが、キャンプ場業務を始めた頃には、想像もしなかった。

 

 

先のブログでも述べたように、木材価格がここまで下がるとは。

 

 

実際、森林組合の業務が森林整備だけだったとすると、単独では経営できず、

近隣の森林組合と合併していたかもしれない。

 

今となっては、当森林組合になくてはならない、非常に大事な業務であるのと、

キャンプ場業務を通じて、自然に触れる、自然を体験する事の重要性に気付かされた。

 

便利になるのは良い事だが、

不便な生活を体験してみるのも、人生経験として悪くはないのでは?

 

火を熾す難しさ・・・・ 薪・木炭を使い火加減の難しさ・・・・ 慣れない飯盒等を使い調理する難しさ・・・・

 

東日本大震災のような大災害が、

身近で起きた場合、ガスはまず使えない。

 

経験しているか、していないかでは、大きな差が生まれるのでは?

 

 

4つのキャンプ場は、それぞれ特徴がある。

初心者でも安心なので、一度不便な世界に飛び込んでみて欲しい。

視察だけでも大歓迎だ。

 

 

                                              おわり。