高い志を持つ串原農林との出会い


季節が進むのは早いもので、11月も半分が終わってしまった。

急に気温が下がり、先週の木曜日には霙が降り、

飛騨高山では初冠雪と、この所あまり良い天気は続かない。

 


今日も雲に覆われどんよりとしているが、

時より雲の切れ間から太陽が顔お出し、降り注ぐ日差しが暖かい。


そんな日差しに照らされて、



イチョウの葉が黄色く輝いている! 

キレイな葉も、じきにきれいに落葉してしまい、冬の本格到来となる。

一歩一歩冬が近づいている。

 

 

 

昨日、恵那・可茂・下呂の林業グループ交流研究会が開催された。

今年は、恵那地域が会場当番となり、恵那市串原が研修会場に選ばれた。

 

恵那市の最南端となる串原は、川を挟んで隣が愛知県豊田市だ。

 


研修会場となった恵那市串原コミュニティーセンターで、


串原農林 代表三宅大輔氏

昆虫食研究者 シャーロット氏


から林業経営から串原に纏わる楽しいお話を聞く事が出来た。


 

串原農林 代表大輔氏が登壇し、第一声から彼に魅了された。

声に元気があり、林業に対する意欲を強く感じたからだ。

 

三宅代表は、初め森林組合の森林技術者として就職されていたたそうだが、

森林組合の合併に伴い規模が大きくなり、そのため作業地域が広くなってしまった。

 

『自分が生まれ育った串原の山がどんどん荒廃していく現状を見過ごせない』 と

地域の山は自分達で管理するため、森林組合から独立し、平成19年に今の会社を設立したそうだ。

 

設立当初は一人だったのが、今は仲間が増え5人で活動している。

 

話を聞いていて驚かされたのが、

民間事業体で 『森林経営計画を作成し、事業を実施している』 と言う事だ!

 

当方でも、森林経営計画を作成事業を実施しているが、書類作成だけでも難しい事が多々ある。

県・近隣の森林組合の後押しがあったとは思うが、いくら意欲のある民間事業体だけでやようとしても、

中々出来る事ではない。

 

現在は、100ha程の森林を所有者と委託契約を締結し管理を行っている。

 


具体的な活動内容は、串原農林の遠山氏から伺った。

 

設立当初は林業のみだったため、会社名も串原林業だった。

ただ、林業では一年を通しての仕事確保が難しいのと、

夏場に材木を扱うのは傷を付ける等適さない事が多く、

 

林業だけにこだわらず、地元串原のためにと考え、

夏場は農業・冬場は林業を行うスタイルにし、それに合わせ現在の会社名に変更したそうだ。

 

木の素性が良くても、材価が低い現在では、伐採費と搬出費で消えてしまう。

何か付加価値を付けるため、地域が生きれば森も生きると、地元での木材活用を模索しているそうだ。

 

今年の春には高卒の新入社員が増えたそうだ。

求人を出したのかと尋ねると、林業に興味があり体験をさせて、本人の意思で入社したとの事。

 

林業は、危険・汚い・キツイ仕事で、若い方から見ると暗いイメージがあると思う。

その業種の扉を開けるとは、串原農林の雰囲気がすごく良いからだと推測出来る。

 

今回、プレゼンいただいた、三宅代表はもとより遠山氏からも、厚い思いが伝わる。

彼らの下で働く若者は、仕事が大変であっても乗り越えて行くだろう。

 

 

 

 

つづいて、昆虫食研究者のシャーロット氏から、森の恵みについて話を伺った。

次第に昆虫食と記載があったので、てっきり男性と思っていたが、

 


素敵な女性だった。

彼女はイギリスより留学中で、串原で昆虫食を研究しているそうだ。


串原はもとより東濃地方では、蜂(ヘボ)を食す風習がある。

蜂が生息するには、森林が生き生きしていないとダメだ。


現にクロスズメバチは減少している。

串原農林も動植物が生息しやすい森づくりを目指しており、

シャーロット氏とともに、地域が生きれば森も生きると食でも模索をしている。


嬉しい事に、昼食は



蜂の子ご飯と、猪鍋を食する事が出来た。

これは、全て串原で取れた材料だ。


何杯食べても飽きない。本当に美味しかった!


準備いただいた串原農林のご家族の皆様に感謝申し上げます。



串原農林が手掛けた作業現場を視察させていただいた。

ここは、串原農林として初めて作業道を開設した現場との事。


作業自体は架線集材、伐採はチェンソーを基本としているそうだ。

これは、付知と同じスタイルだ。


林業も機械化が進められているが、

地域に合った機械を選ばないと、逆に山が荒れてしまう。


古いやり方だと思われるかもしれないが、架線はこれから重要になる。



今回出会えたの何かの縁だろう。

頼もしい逸材に出会えて大変うれしく思う。